今は伝説の人となった自然形体療法創始者故山田洋先生の施術現場は凄かったです。今から23年前の話です。
それは新潟大学医学部の横にありました。
全国から膝や腰、肩などを痛めた人でいっぱいでした。初めて訪れた時、既に待合室には20人くらいいました。
次々良くなる様子を目の当たりにしました。膝を痛め、足を引きずっていた人がスタスタ歩いて帰る光景は「すごい!」しかありませんでした。
小学生から、野球やサッカー、バスケ・・の少年たち。膝の痛み、オスグッドや半月板損傷で来ていました。
足を引きずるように杖に頼って歩いてくる膝を痛めたお年寄りもいました。
その場で走らせたり、しゃがませたり、階段を昇降させたり、痛みがないことを確認する山田先生の自信に満ちた表情と本人のはち切れそうな笑顔、同行のお母さんやお父さんの目に浮かぶ感動の涙は、見ている私を感動させるに十分でした。
1997年のことです。
感動した私は山田先生とじっくりと話し、頼まれるままにの本部の事務局長を引き受け山田先生の片腕として活動することになりました。2012年、山田先生がお亡くなりになってからは自然形体療法総本部会長として現在に至っています。
山田先生と一緒に全国各地で体験会を開催しました。東京、京都、静岡、新潟、名古屋、岡山、滋賀・・・。
全国の会場で50人ほどの方をみんなの前で弟子たち一緒になって公開施術。その場で膝や他の痛み解消するというイベントは他ではありません。自信の裏付けがないとできないことです。
山田洋先生との出会いは私が小学3年の時発症したペルテスという股関節骨頭が壊死するという難病になったことです。以来52歳まで股関節の痛みと共に生活してきました。
山田先生のことを知人から聞いてすぐに新潟まで行きました。月に2回から3回片道6時間かけて通いました。一回行くたびにみるみる痛みが軽減していきました。4カ月たったころからほぼ痛みのない生活が戻ってきたのです。
始めて施術を受けた時、既に時間は夜9時を過ぎていました。
「発症から40年も時間が経っているので、これは大変です。でも良くなりますよ」
と言われました。
実際、施術が終わった後は全身が軽くなり、股関節のあのいやな痛みも随分軽減していました。驚きでした。
待ち時間の間、目の前で次々と痛みが取れて笑顔満開になる様子に感動していた私は「先生お食事でもしながら、少しお話をお聞かせ頂けませんか?」といいました。
お疲れのはずなのに快く快諾してくださいました。近くのコンビニでお弁当を買ってきて先生の治療所で座卓を囲んでの遅い夕食となりました。
さすが新潟だけあって、来院者の方がお礼にと持ってこられた日本酒が何本も置いてありました。
その夜3時ごろまでお酒を飲みながら意気投合し、その場で事務局長を引き受けることになりました。
「やっと出会えましたね!」お互い涙を流しながら手を握り合っていました。協力し合いながらこの施術法を後世に伝えたいと思いました。感動の出会いでした。
その後、滋賀県長浜市で「自然形体療法長浜研修所」を開設し、施術と共に研 修生を受け入れました。新潟の本部から交代で講師を派遣してもらって研修と施術が始まりました。
すぐに結果が出ますから狭い田舎町ではすぐに評判になりました。3年目になると海外にいる主に日系人や海外に仕事で行ってる日本人、外国人も噂を聞いて長浜まで来るようになりました。
次々と膝の痛みに耐えながら電車を乗り換えての来院です。気の毒で見ていられません。そこで、関空から直通で来られる京都駅前に開院することを決意して今日に至ります。